電子レンジ

京都在住。MUSICAライターになれなかった男が創作したりレビューを書いたり

ギルド/BUMP OF CHIKEN


4月。連休初日の土曜は暖かい陽気で、車窓から眺める空は青い。休日と記念日の天候として問題はない。問題は複雑な思いとは裏腹に無機質に式場に運ばれている自分の体。


迷ったあげく「出席」に○をつけた。体調不良、仕事のトラブル、身内の不幸以外で行けない理由を日々探してみたり。身体は万全だし仕事にも滞りはない。もちろん幸いなこおに身内は病気ひとつしていない。自分で決められないから周りに頼るなんて自分らしくてうんざりだ。


呼ばない理由はない。そう言ってくれたけど、行かないほうがいい理由もあると思うし、行きたくない理由もある。僕が新郎新婦が高校時代からの親友ということよりも、新婦と僕が昔、恋人同士であったということが一番引っかかる理由だ。


新郎とは高校1年からの付き合いで、学校内でも休みの日も多くの時間を過ごした。お互いの家に泊まったり、野宿をしたり。たくさんの話をすることで若いうちに築くべき性格の礎を共に作りあげてきた。彼と過ごした時間があったからこそ、まともでない現実に耐えられる人格になれたと思う。


新婦とはそんな高校生活の終盤に、大学も決定して始めたバイト先で出会った。サバサバとスッキリとした性格に自然な姿に惹かれたのだと思う。ごくごく自然に3人はよく同じ時間を過ごすようになった。


多くの恋人同士がそうなるように、僕らは共に社会人生活が1年経過したタイミングで、「お互いの幸せを尊重」し別々の道を選んだ。といえば聞こえはいいが、その過程はお互いの心を削りあったもので簡単に語れるものでもない。お互いが失望することもあったし、朝までまで話し合った。決して誰にも語れないものもある。


彼女は大人になれない僕と共に歩いていきたいと努力してくれた。でも僕はまだまだ子供で社会に出て見つけた放射線状に広がる道を見据えて、泣きながら訴える彼女の言葉を無視して置いていく決心をしたのだ。


外の景色がだんだんスローになって電車は到着駅を告げる。幸いにも式場は駅からすぐで僕の鈍い足取りでも簡単に到着してしまう。やはり外はいい天気で眉をひそめて思わず見上げてしまう。


受付を済ませてソファに腰掛ける。結婚式は親族だけで行われていて、披露宴の開場をまつ。共通の友人と談笑しながは2人の思い出の品を見つめ、ウェルカムドリンクのビールを飲んで、現実味を帯びない空間に戸惑いながら、親友が2人の関係を打ち明けてくれたことを思い出していた。


僕は徹夜明けでシャワーを浴びただけで待ち合わせをし、その時も昼からビールを呑んでいた。近況話をそこそこに、親友は突然淡々と彼女と付き合ったタイミングと結婚式の予定日だけ教えてくれた。


その後僕は何を言ったか覚えていない。僕は現実に向き合わないでおめでとう。とか必ず行くよ。とか。昔の3人の関係を直視せず答えていたと思う。純粋に親友の吉報を喜ぶことが出来たのも、余計なことは言わずただ事実だけを伝えてくれた親友に感謝しかなかった。


開場して披露宴会場を見渡す。新婦は来賓席を並んで眺めた時にどういう思いで立っているのか。落ち着かない思いで待っていのまま2人が入場する。その表情は、その言葉は。そして今彼女が歩む一つ一つの一歩。その跡を辿ると僕ら2人で歩いてきた道もある。知っているあいつと知らないあいつがいる。そしてたった今も僕の目の前を通りすぎる輝かしい素敵な2人がいる。


式が終わって1人になった後、別れた日のことを思いだしていた。僕はどんどん成長する彼女に嫉妬していたんだ。大人になってお互い傷つけ合うことに耐えきれず寂しかったんだ。と。


大人になることで今までの2人で無くなることに怯えていた。そしてそんなことも打ち明けられずに逃げていたんだ。彼女もまた同じ不安を抱えて、何とかしたいと僕に助けを求めていたんだと思う。今だから思う。目を閉じて本当に幸せになってくれたことを嬉しく思う。


『奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ 繰り返して 少しずつ 忘れたんだろうか 汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か いずれにせよ その瞳は 開けるべきなんだよ』


目を開けるとあの日流せなかった涙が流れだす。涙の意味はあの頃と似てるけど少し違う。その意味は自分だけが知っている。



空っぽ/SPECIAL OTHERS & キヨサク(from MONGOL800)



「あの、転職決まったんで辞めたいんです。お世話になったのに申し訳ありません。」


「うん、わかった。もう決めたことなんだよな。今後のことは明日話そうか。」


「はい、迷惑ばっかですみません。あの、ずっと聞きたかったんですけど、先輩はなんで・・・」


ため息を押し殺して言電話を切る。それと同時に軽く息を吐きだす。毎年と言っていいほど必ず1人離れていく。いつも複雑な気持ちでこの時を迎える。その時は思考を停止している。


電話が終わるのを待っていたかのように信号が変わり車が走りだす。青信号で進みだす未来よりも赤信号で現実と向き合う時間が多い。僕はどこに向かっていけるのか。


この街を照らす唯一の灯りのような弁当屋に入って、いつも同じものを選ぶ。壁の隅っこに貼り付けられた扇風機が無言で回り続け、強弱の設定に納得が言ってないようにカタカタと揺れる。閉店間際に駆け込んだ。お店は、厨房の熱気でムシムシとしている。


使い古されたベンチに座って帰ってからのこと、明日の起床時間、後輩のこと、社内調整のことを考えてうんざりする。間に挟まれて、周りに流されて日々は過ぎていく。チームの成功に喜んで、先輩や上司の出世を喜んで。その中にいる僕はどこに向かっているんだろうか。


『可もなく不可もなく生きてきた僕は

目を逸らすのが精一杯で

可もなく不可もなく生きてきた僕は

耳を塞ぐので精一杯で』


空っぽ。僕は空っぽなんだろうな。白にも黒にも染まれることを柔軟さと読んで、一定の評価に満足しているだけなのかな。それもいいやと思ってここまで来てる。


弁当を受け取って幹線道路沿いを歩く、点滅信号で立ち止まる。


そういえばSNSで30歳から企業した同級生がいたな。障害者雇用の人材派遣業だ。昔から成績はよかったけど、あいつは何の保証ない世界に飛び込んだ。いつどこでそんなことを決心したんだろう。自分には想像がつかない。とはいえどこにも行きたくないわけではない。この道の延長線上でどこかにたどり着ければと思っている。自分ではない誰かに敷かれたこの道を自分のオリジナルであるように。


『風に吹かれ さすらい生きてる花を

指をくわえて見つめている

風に舞って さすらい生きてる鳥を

指をくわえて見つめている』


長い横断歩道の中州で立ち止まる。前にも後ろにも車が行き交う。僕はどっちにも進めていない。いつも中州に立って見つめているだけだ。


「先輩はなんで実力があるのにずっとこんな所にいるつもりですか?」


「うるさい」


うるさい。そう反芻して横断歩道を歩きだす。頭を空っぽにして、雲の隙間から覗く月を見つけて、僕は僕はの道を、月と共に歩く。

番外編-私の一人暮らし

僕が一人暮らしを始めたのは、一般的には遅い28歳の時だ。

それまでは実家の布団が何よりも大好きで、週末の爆睡眠を楽しみに生きていたのだけど、出張でホテル暮らしが続いたことや、週末になると彼女の家に入り浸ること、これは実家でなくても生きていけると謎めいた自信を持ち始めていた頃、彼女の家でサナギ生活が許されなくなり、成虫として手始めに同棲でもしてみるか。と、決心をきめ、先方の実家に八つ橋でも持って挨拶でもと思ってた矢先の頃である。


なんか一人暮らししてみたい!!


と思ってしまったのである。


それはすごく前向きな発想であり、このまま家事、炊事、洗濯を覚えないまま築く家庭よりも、不測の事態に備え、お互いが支え合う素敵な家庭が作れるのではないかと思ったからである。

世は夫婦尊重の時代、夫婦別姓、家事も仕事もお互いに固執しない、分担の時代だ。それに一度きりの人生。やはり経験として一度はやっておくべきだろうという結論に達したのだ。

そんな前向きな思いを、さも将来を見据えた、素敵で理解のある男性です。というアピールも込め当時の彼女にぶつけてみたところ、それはそれは、まあまあ、予想を超えた大修羅場の勃発である。

僕は予想にもしない流れで唖然とするしかなかった。彼女からすれば何やら彼氏がアホ面さげて、取ってつけたような理由を持って同棲やめて一人暮らししたいとなどと、もはや別れ話に近い話題を持ちだしてきたので怒りも当然である。

パンクバンドのボーカルが、飲食店の人達に寄り添う歌を歌いたいから、和民の店長をやる。と言ってきたようなものである。メンバー全員バンドを組んできたことを後悔するほどのアホさ加減である。

その時点で大まかな物件、家具選び、ペアの食器選びなどなど。実際に内見に出かけては、

「ここはケンカした時の逃げ場ね。ウフフ。」

「料理は早く帰ってきたほうの担当ね。俺、チャーハンには自信があるぜ。」

「チャーハンは料理として承認する。」

「じゃあ手始めにお互いの親に挨拶してちゃんと許可もらわなきゃね。」

「俺たちそうゆう所はちゃんとするぜ。フガフガ」

などと、不動産営業も呆れるような会話を繰り広げていた話していた矢先である。

今冷静に考えると、自分のアホさ加減にうんざりするのだけど、その時は今後のための画期的な案であると疑わなかったし、もめればもめるほど、決して妥協してはいけない事柄のように思えた。

その後は、彼女が出してきた「同じマンションの隣同士で一人暮らしをする」こちらもアホな妥協案も合意を得られないまま、一度出来た隙間は埋まらず、お別れをすることになった。

その後、何故か恋愛に傷ついたふりをして、実家でダラダラと失恋の思いを噛み締めたポーズをとった後、念願の一人暮らしに突入することになったのである。

一通りの家具家電をイチから揃え、念願の一人暮らし、自分の城、家賃や光熱費を払うことで暮らすことの責任感と緊張感。築浅のワンルームマンションに1人佇む。これからが本当のスタート!




あれ、一人暮らしでやりたいこと終わってるくない?




実家から持ってきたものは少なくほとんど購入したものばかりなので引っ越しはほとんどなかった。日曜の18時。微妙な時間だ。お腹もまだ空いていない。とりあえずテレビをつける。

ふむ。いつも観てるテレビと変わりはない。コンビニで購入したペットボトルのお茶を購入したマグカップに入れて飲んでみる。ふむ。ただのお茶だ。生茶だ。

真新しいカーテンを窓から京都タワーを眺める。この部屋を決めたポイントでもある。見慣れた京都タワーだ。洗濯するものも特にない。とりあえず夕食を取って、風呂に入ってもそれ以降も特にすることはない。ぼちぼちのタイミングで就寝するも、遅刻が怖くて眠れない。

ふいに目覚め、寝過ごした気がしてカーテンを開ける。真っ暗、午前4時、京都タワーもちろん眠っている。難しい。一人暮らし、難しい!

と、最初は戸惑いながらの生活を続けるていたけれど、慣れるとそれはもう快適な生活に早変わり。

食べるものも、眠り方も、起き方も全て自由自在。週末に1人で宅配ピザ食いながら寝てたり、自分でもわけのわからない生活が楽しくて仕方がなかった。

そして何よりも、夜の街で出会った毎回違う女性達を部屋に誘って、京都タワーを眺めて、一度きりの出会いを謳歌したり、隣に引っ越してきた同じく一人暮らしの女性と作りすぎたおかずの交換をしたり、お互いの家を行き来するようになったり、お互いの家にお互いの食器と枕が置いてみたり、部屋をチェンジしてみたり、けどやっぱり寂しくなってどちらかの部屋に行ってみたり、最終的には2人で一緒に引っ越しすることになったり。


、、みたいなエピソードは全くなかったです!強がりで二つ買った食器も最後まで値札がついたままでした。今は一人暮らしの家にあまり来たことがない奥さんと結婚して幸せな生活を送っておりますが、今でも自信を持って言えます。


一人暮らし最高!もう一回一人暮らししたい!

BABY BABY/銀杏BOYZ

GOING STEADY、通称ゴイステと呼ばれるバンドがあった。


初めて聴いたのは2000年頃。友達に録音してもらった赤色のMDに詰め込まれたゴイステのアルバムを繰り返し聴いていたことを今でも思い出せる。


特に「STAND BY ME」という曲のイントロのベースラインに憧れて、ベースを弾くようになり、初めて「STAND BY ME」を人前で披露した時の、あの静寂の時を忘れることが出来ない。新たな扉を開けるきっかけであり、原点の一つであると自信を持って言える。


いつしかゴイステは銀杏BOYZと名前を変えた後、青春という名の使い古されたブランドを剥ぎ捨てて、ありのままの性、欲望、自身の中で整理しきれない感情を叫び、今までの音楽性をぶち壊すように濁し続け、狂気に映りかねない音楽へ変化していったように思う。


その当時の僕といえば「非日常×エロ≒リアリティ」という画期的な方程式を自身の中に生み出したが故に、狂ったように妄想や作られた、ニセのリアリティを追い求める反面、「好きな女の子とは友達以上にどうしても進めなくてフラれる」というトラウマを抱えていたものだから、リアルな恋や性に対して変に神聖なものを感じてしまい、銀杏BOYZの表現する現在進行中のある種の革命には同感しきれないことがあり、いつしか聴く機会も減ってしまっていた。


そして今、その現在進行形であるミネタ氏が叫び歌う。その姿、その声から発せられるメロディ全てが、今までのバンド人生を通過せずには得られなかったかのように、今最も表現に適したスタイルが作り上げられているように思う。

そして代表曲である「BABY BABY」という曲が世代を越えても未だ愛される理由も、あの頃のように歌うのではなく、ミネタ氏自身が当時の曲に込めた思いを背負いながら現在進行形の表現に乗せることで、新たなリスナーはしかり、出会ったあの時から一緒に同じ年数を過ごしてきた今までのリスナーの心に、改めて刺さるのではないかと思う。


あの頃のゴイステにも銀杏BOYZにも二度と会うことは無いだろう。ただ僕らも彼らと同じ年数を過ごすことにより着実に進化を遂げている。悲しくはない。僕らが前に進む限り、道の途中でまた同じように進化途中の彼に、あの曲に出会えるのだから。


ハローグッバイ/かりゆし58

始発が走り出す前、駅の駐輪場で煙草に火をつける。煙が目にしみると同時に忘れていた眠気が姿を現す。煙草を吸い込んで、白い息と共に吐き出すけ煙がいいね。なんて、カッコつけたことを言いながら。


さっきまで話し尽くした話題を持ち返して、乾いた声で笑い合う。いつもは車通りの多い道に余韻が響いて、この世界に生き残ったような特別な感覚がある。


やがて、原付からヘルメットを取り出す音が静かな街に響いて、『じゃあ、そろそろ行くわ。』と帰るタイミングを見計らう頃、『実は俺、この前、あいつに告白してフラれた。。』と、共通の友人である女の子への玉砕エピソードが飛び出して、結局始発が走り出すまで話していたあの頃。今よりも別れが惜しくなかったあの頃。次の約束もしないまま、1人また1人一日の始まりに向かって帰って行く。


そんな友人達と会う機会は1年以上開くことも多くなったけれど、10年以上たった今でも同じ話題を持ち返し、次に会う約束も確実に出来やしないけれど、越えていった夜の繰り返しが今の絆を作っていったんだろう。


かりゆし58が歌う『ハローグッバイ』の中にある、『距離も一つの繋がりなんだと。気付いたのならば、また会えるよ。』

というフレーズは、住む所もバラバラになった友人との物理的な距離も、それぞれ大事にする家族や仕事仲間、その先にある僕らの関係、離れてしまった心理的な距離があるけれども、ずっと近くにいるより一定の距離感でいることにより絆が深まって行くことを教えてくれているように思う。


繋がっている限りきっとまた会える。そんな心の暖かさを与えてくれる。また、会おう。


愛を両手に/ACIDMAN

結成20周年、デビュー15周年を記念するフェスも終え、確立したACIDMANというバンドの、これからが楽しみでならない。思い返せばデビュー時の1曲入りシングル3枚から、うちにあるイメージを音楽という形に変え、打ち出していく、そんな表現者の側面を感じていた。その結果、これまでにも曲に色を表現するような、浮遊感を感じるような感覚を音楽という形で与え続けてくれ、時に景色を想像させてくれた。


それは確実にアウトプットを心がけた結果だと思うし、その道のりはこんこんと自身と向き合うことは不可欠であり、自分自身を削り取るような、決して平坦な道ではなかったろうと思う。アルバムを創る度に解散を考えるほどであったというエピソードもあるほどだ。


2017年12月13日にリリースする、ニューアルバム『Λ(ラムダ)』の収録楽曲のうち、最後を飾る「愛を両手に」はそんな表現者の側面と、感情を乗せた楽曲であると思う。中心となるアルペジオがカラカラと映写機が回るように、自分自身の記憶を思い返すような不思議な気持ちになる。確実に人の感情を動かすレベルになっていることに驚きを隠せない。


間接的にもデビューからACIDMANを聴き続けたこともあり、ある種の親近感を勝手に覚えつつ、これからも共に楽曲の進化と共に生きていきたい。

ヒューマン/WANIMA


終わりの無い道のりに、答えられないことばかり。


シンプルな言葉に韻を重ねているだけなのに、こんなに芯に響くのものか。

多くのリスナーに愛され、スポットライトを浴びてる彼らも理想と現実の狭間でもがいているのだろうか。いわゆる共感を求める歌でも、誰かに寄り添い励ます歌でもない、彼ら自身が迷いながら胸を掻き毟り絞り出した音と言葉。その一粒一粒が同じように悩む誰かの心を打つのかもしれない。明るいキャラクターの裏に隠された苦悩や悲しみを感じ、悔しいが彼らをまた好きになった。



線香花火/ガガガSP

線香花火という曲がある。ガガガSPの代表曲のひとつだ。

線香花火の消えゆく様と夏の終わりを重ね、終わりを経験することにより、誰も止めることの出来ないオトナへの道を進み、振り返り、通り過ぎてきたいつかの夏を思う。そんな曲だ。

個人的にたまに口ずさんでみたりする好きな曲である。そんな歌詞やメロディもあるけど、僕はあの曲から感じることのできる、生々しさ、例えば湿っぽい夏の暑さを原付バイクで乾かして、信号待ちで足に絡んだ蚊を追い払いながら、吹き出した汗をまた乾かすように走る。そんなジメっとした、時に砂っぽい夕方を思い出してしまうのだ。

地元から少し離れた公園の隅で浴衣姿の彼女と線香花火をする。二人で火が落ちるのを共に見守ることで大切な想い出に。立ち上がる瞬間に初めて手を繋いで帰り道を歩く。これから作りあげていく無限大の想い出。100万枚撮りのフィルムでも撮りきれないほどの想い出。そんなことはなく、フィルムも余りまくるわけだ。

個人的な問題は置いておくにしても、線香花火という曲が思い起こさせるイメージはどちらかというと、甘酸っぱい想い出よりも、花火を持って河原に走ったり、余りまくるフィルムの使い道に思い馳せていた、そんな男臭い想い出を振り返る時に聴いてほしい曲である。

太陽4号/10-FEET

過去に向けて問うのはでなく、未来に望むのでもなく、ただ「今」を歌う。

例えば、苦手だったお酒がささやかな安らぎに変わり始めているその頃の、始まりの、ほんの数十秒。頭からため息から滲み出た、名前のつけがたい感情。その感情に名前をつけるとすれば‥難しい。それぞれの置かれている状況や位置によって呼び方も変わってくるものだろう。ただ、過去を懐かしむことでも、未来を憂うものでもなく、その中間に位置し、吐き出される「今」だから単純に名前にも変えられないのだろうと思う。

太陽が昇り、そしてまた沈むようなテンポで、語られるように歌い上げられるこの曲も、たった今流れていく「今」と、苦しいくらいに向き合って、見たくない自分の位置を確かめて、ありのままの「今」を歌っているように思える。それがただただ、心苦しく何とも言えない感情を感じてしまう。それも自分と向き合えていないということだろうか。

僕らを太陽に例えた場合、今どの辺りだろう。見上げれば煌々と輝く太陽だろうか、夕焼けに近づく太陽だろうか、沈んで明日を新たな明日に向かっている太陽だろうな。いずれにせよ、誰かに言ってほしいし、自分に言い聞かせたい。間違ってない。と。

■ANOTHER STARTING LINE/Hi-STANDARD

2000年発売の「Love Is A Battlefield」から約16年ぶりのシングル。ゲリラ発売で音楽ファンに驚きと喜びを与え、思わずニヤリとしてしまうような嬉しい瞬間とニュースを提供する悪い言い方をするのであればヤリ口は流石だなあと感じざるをえない。多くの人達が新曲が発売されるというニュースだけで細やかな生きる希望を感じさせてくれる瞬間になったと思っている。

ただ、再結成した、活動再開したバンドに共通して言えること。ここは隠してもしようがない。はっきり言うと違和感。だ。

いくつかのメディアでも新曲をいつか出す意思があることはわかっていたし、その頃から心の底では覚悟していたかもしれない。

当たり前だけど、ハイスタのメンバーも16年前からそれぞれのバンドで活動しているし、その頃からマインドも変わっているはずだ。

「Love Is A Battlefield」も良い作品だけど、僕らが愛していたハイスタの楽曲の多くはその前の作品だし、16年前どころではない。

それよりも僕らも16年間という月日の中で、苦しさや悲しさを経験し、想像していた未来は遠く険しいものと実感し、捉え方もドライになっている。

送り手と受け手がそれぞれの変化に流れる中、あの頃の気持ちで同じ感動を得られることなんてそもそもがありえないのだ。誰が悪いわけでもなく、ハイスタも僕らもあの頃のままではいられないのだ。

それでも、音源を聴くと声質が変わっても変わらない独特のハモり、息遣い、メロディや伸び、イヤフォンを食い込ませて聴いた、いつでも一緒にいてくれたハイスタなんだと感じることが出来る。

僕らが求めていたものと完全一致しなくても、長く体に馴染ませた細胞ひとつひとつが声をあげるのがわかる。

例えば試合の前に自分を鼓舞するために、憂鬱なバイトに向かう前、大好きな人に会いに行く阪急電車から見える景色、耳が切れるような寒さで原付に跨ってる時に。ハイスタと過ごした記憶が思い出させてくれる。そして問いかける。今、現在から見える景色とその頃の自分が景色の違いについて。

こっから先は自分自身だ。ゆるやかな挫折を繰り返して来た僕らが何を感じ、これからの生活をどう変化させるか。変化させないか。これは過去との対話を経て、新しく道を構築するか。全ては自分次第。